最近悔しいことが多いです。

先日ブログに書いた115kgモンゴル相撲出身の人に完敗した柔術でもそうだし、音楽や仕事でもそう。

 

13歳から始めたドラムは今までに数え切れないぐらい何回も何回も隠れては悔し涙を流しています。

練習に行く前は憂鬱な状態。

 

他のドラマーと比較されライブ後には2時間説教。

殴る蹴るは当たり前。

今の時代だったら絶対に僕はまとまったお金を手に入れてただろうと思うぐらい説教のように殴られてました。

 

その結果、楽しい音楽ではなく全く笑えない日々でした。

それでもドラムという楽器を続けたのは上手くなって見返したいという想いからでした。

 

結果的に、ドラムは10年ぐらい真面目に練習をしたのですが、あることがきっかけでドラムという楽器の限界を知り、それ以降は急激に上手くなりたいという熱は下がっていきました。

当然真剣でなくなった分、悔し涙を流すことはなくなりました。

 

最近ドラマーとして悔しかったことといえば、オリジナル曲の自分で考えたドラムフレーズ全く演奏できず『こんなに頭と身体がリンクしていないのか』と全盛期を懐かしむ悔しさぐらいです。

 

また、ドラマーではなくボーカルとしては致命的なぐらい音痴だから、こちらは現在進行系ですごく悔しい思いをしています。

音痴音痴と散々言われ一生懸命練習したのに、それでもまた音痴音痴と繰り返し言われ続ける。

一時は練習に行くのが憂鬱でした。

馬鹿にされに行くのもどうかなと。

 

そして憂鬱と言えば格闘技ですね。

自分より強い人がいる道場へ行く直前の憂鬱な気分。

武道や格闘技をしていた人はわかってくれますよね。

 

オスとして圧倒的な敗北を知りながら挑戦するかどうか迷っている時、僕の頭の中では道場に行かない理由を考えてそれを正当化しています。

 

柔術を始めて約1年間は何をしてもやられっぱなしでした。

関節を極められ、首を絞められ、毎回自分の弱さを思い知らされました。

 

悔しいを通りこして本当に嫌になってしまいました。

全身麻酔の手術が必要な大きな怪我も経験しましたし。

それでも、今でも続けているということはやっぱり楽しいんですよね。

余談ですが、手術の痛さよりも尿道カテーテルを抜く時の痛みの方がはるかに痛かったです。

 

仕事でもそう。

会社員と自営業の両方を経験している僕としては、それぞれ違ったストレスがあると考えています。

 

会社員時代の悔しい思い出というと、やはり東京時代のマンション営業を真っ先に思い出します。

上司の理不尽な扱いに何度悔しい思いをしたことか。

深く悩み苦しみ悔しくて悔しくて、それを通り越すと何も考えられない空っぽの状態になった記憶があります。

 

また、考え方としては現状維持は衰退と考えている僕としては、やはり新しいことに挑戦したいと常に考えています。

でも、新しいことに挑戦すると当然のように失敗する。

ただ、大きな失敗ではなく、小さな失敗を繰り返している感じですね。

 

これは、以前から僕がおすすめしている本『リーンスタートアップ』という本の影響です。

その小さな失敗から反省と改善をして次のお仕事に臨むようにしています。

 

ただ、憂鬱な気分というのは、行く前だけであって実際にその場所で真剣にそれと向き合うと悔しい思いをすることには変わりないのですが、結果として憂鬱さは吹き飛びます。

結果、ドラムでも音楽でも仕事でも『行ってよかったな』『挑戦してよかったな』となることが多いです。

 

そして、自分自身が成長するためには、僕はこの憂鬱な状態を常に維持する環境に身を置くことが重要と考えています。

そして、このポイントは真剣に向きあうということです。

この真剣さがあるからこそ、悔し涙が流れます。

 

もちろん、その耐性は人それぞれですので程度は人によるのですが、不快感を感じない状態というのは、僕の中で『成長にフォーカスしていない状態』となっています。

上を見たらキリがないですが、比較するなら過去の自分。

 

本気で挑戦するからこそ、人は憂鬱になる。

本気で挑戦した後に残る悔しさは、自分が本気で向き合った証拠です。

だから、その悔しさが人を成長させるのだと思います。

最近の僕は、この憂鬱な気持ちを『逃げるサイン』ではなく、『成長できる場所へ向かっているサイン』だと考えるようになりました。

だからこれからも、憂鬱だから避けるのではなく、その先にある成長を信じて、一歩ずつ挑戦を続けていきたいと思います。