僕は民泊やゲストハウスを運営しているため、世界中から様々なゲストさんがお越しになります。
僕の英語力は、ゲストハウス運営レベルでは困らない程度はあるため、海外ゲストさんとの会話を楽しむことができます。
だから、本当に色んな意見や考え方を知ることができ、毎日刺激をもらっています。
その中で、約1年前にご宿泊いただいたアメリカ人ゲストさん(現在日本の学校で英語の教師をしている)との会話が非常に興味深かったので、その内容をシェアしたいと思います。
最後まで読むと、現在子育て真っ最中の人は、『本当に日本の教育はこのままでいいのか』と感じると思うので、是非楽しみに読んでみてくださいね。
※念の為、1番始めの写真の彼はフランス人男性ですので、今回の話に出てくるアメリカ人の先生ではありません。
同じ日にご宿泊いただいた日本人ご家族のゲストさん(特にお子さん)と仲良くなったので、一緒に記念撮影をした1枚です。
日本とアメリカの教育現場や生徒の違いとは?
まず前提として、そのアメリカ人はアメリカでも学校の教師をしているとのこと。
つまり、現在は日本の学校で日本人相手に教えているけど、過去はアメリカでアメリカ人相手に授業を教えていたという経験を持っている人です。
だから、より明確に日米の教育現場の違い、特に先生の立場から見た生徒の違いというのを教えてもらうことができました。
本当に様々な会話をしたのですが、その中で『日本とアメリカは全然違うな』と思った内容や『僕自身が興味深いと感じた気づき』についてまとめてみました。
それは、以下の部分になります。
- 日本の学校ではテストばっかりだがアメリカではエッセイを書いてもらう
- 日本人は授業中何も話さないがアメリカ人は授業を止めてでも議論する
- 日本人の生徒は先生の意見に忠実に従うがアメリカ人は先生の意見でも従わない
- 日本人男性はどんどん女性化しているがアメリカ人は強さを求める
- 日本人は全員と同じことに安心感を覚えるがアメリカ人は全員と同じだったら気持ち悪く感じる
では、この内容を1つ1つ詳しく解説していきますね。
日本の学校ではテストばっかりだがアメリカではテストの代わりにエッセイを書くという違いがある
日本の授業はテストばっかりですが、アメリカではエッセイを書くという違いがあります。
もちろん、アメリカもテストはあります。
ですが、それ以上に考え方を重要視しているため、『○○についてのエッセイを書く』という作業をするとのこと。
まず、そもそもエッセイとは何かその定義をみてみますね。
随筆(ずいひつ)とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。随想(ずいそう)、エッセイ、エッセー(仏: essai, 英: essay)などともいう。「essai」の原義は「試み」であり、「試論(試みの論文)」という意味を経て文学ジャンルとなった。
では、英語のessaiにはどういう意味があるかこちらも定義を明確にしたいと思います。
An essay is, generally, a piece of writing that gives the author’s own argument
これを僕が意訳すると、『エッセイとは、一般的に著者の主張を書いたもの』になります。
つまり、上記の『筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。』と同じ意味であると考えることができますよね。
では、話を戻しますね。
そのアメリカ人先生が言うには、日本はテストが多いと。
でも、アメリカではテストもあるがそれ以上にエッセイを書かすと。
つまり、先生が出した議題に対してエッセイを生徒に書かし、その考え方によって評価するとのことでした。
僕自身は高卒のためエッセイを授業で書いた記憶がありません。
もしかしたら忘れているだけかもしれませんが、それぐらい記憶にないということですね。
ただ、様々な民泊・ゲストハウスにご宿泊されるゲストさんとの会話の中から、『主にエッセイは大学生から書く』という認識を僕は持っています。
違ってたらすみません。
つまり、小さいころから『覚えること』に特化した授業をしている日本と、小さいころから『考えること』に重きをおいた授業をしているアメリカという違いがあるということですね。
ただし、そのアメリカ人先生が言うには『授業にもよるけどね』と言っていました。
なぜなら、『数学は答えが1つだから』とのことですね。
ちなみに、僕自身の考えはエッセイを書くということには賛成です。
なぜなら、思考が整理されるからですね。
僕自身も毎日平均約4000文字の文章を書いています。
そして、半年それを続けていますが、やはり半年前と比較しても自分の思考がクリアになっているように感じます。
その結果、以前と比べ思考がまとまっているため、1つの何かのきっかけによって、様々なことに気づいたりする機会が増え仕事に活かせています。
ですので、日本の教育現場はもっと『書いて考える』ということの時間を増やすべきだと僕自身は考えています。
日本人は授業中何も話さないがアメリカ人は授業を止めてでも議論するという違いがある
僕自身はアメリカで4年半生活していました。
そして、その多くをアメリカ人達と一緒にいたので、彼らが議論好きというのは本当によく知っています。
バンド活動する上でもアメリカ人メンバーの自己主張はいっぱいありました。
もちろん、僕も負けじと自分の意見を主張していましたが。
でも、日本の授業ではどうでしょうか。
基本的には先生の話を聞くだけですよね。
語弊がある言い方になりますが、世の中の先生全員が子供への教育に情熱を持って指導しているかというと、『?』と疑問を感じる人も僕はいます。
でも、日本の授業では先生に教えに意見をすることは『ありえない』ことですよね。
もちろん、学校によって多少の違いはあると思いますが、それでも授業を止めてでも先生の考え方に対して反論し議論をするというとことは少ないでしょう。
ですが、アメリカ人の先生曰く、アメリカでは納得いくまで先生であっても議論するといいます。
授業を止めてでも生徒と先生が議論をするといいます。
では、なぜ議論できるか、そしてなぜ疑問に思うことがあるのかというと、やはり普段から『考えているから』だと僕は思います。
その点授業で日本人に教えていても反応がないため、『何を考えているのかわからない』とアメリカ人のその先生は言っていました。
そして、日本人は『おとなしくてやさしい』とも。
でも、アメリカ人は『すぐ議論するから疲れる』とも言っていました。
何でも反論するのはどうかと思いますが、やはり自分の頭で考えるということは、今後必須であり、特に社会に出てからは本当に大切になってくると僕は考えています。
ですので、先生の話を聞くというの大切かもしれませんが、それと同時に主体的に自分の頭で考えるという授業がこれから必要なのかなと常々感じています。
日本人の生徒は先生の意見に従うがアメリカ人は先生の意見でも従わない
これは先ほどの話とすこしかぶる部分があります。
アメリカ人は先生の意見であっても納得いかなかったら従わないというのです。
これはそのアメリカ人先生がアメリカの学校でクラブ活動みたいなものを教えていた経験からとのこと。
アメリカ人は先生の意見であっても納得がいかない場合は基本的に従わず、話し合うといいます。
そして、納得がいくと行動を始めるというのです。
では、日本人はどうでしょうか。
僕が知っている範囲でいうと、日本人のクラブ活動は、基本的に指導者の教えを忠実に守るスタイルのように感じています。
もしかしたら、今の学生さんのクラブ活動は少し変化しているのかもしれませんが、少なくとも僕が学生のときはそうでした。
そのアメリカ人先生も日本の学校ではクラブ活動を教えているとのことで、やはり『日本人はおとなしい』と授業中だけでなくクラブ活動でも感じているようです。
このあたりの日本とアメリカの違いも、日本とアメリカの両方のクラブ活動に携わったことがある人の意見として非常に興味深く思いました。
ちなみに、そのアメリカ人に『アメリカでは体罰はあるの?』と聞くと『Tha’s crazy』と返ってきました。
日本人男性はどんどん女性化しているがアメリカ人男性は強さを求めるという違いがある
これは僕自身がアメリカで経験したことですが、アメリカ人は本当に全員と言っていいほど身体を鍛えています。
もちろん、鍛えていない人もいますし、肥満率は非常に高い国ですが、それでも『身体を鍛える=強くなり女性にモテる』ということにつながります。
ですが、日本人男性はどんどん『女性化している』と僕は感じています。
鏡を見てずっと髪の毛をいじってみたりするのはやはり『アメリカではありえない』とそのアメリカ人先生も言っていました。
ちなみに、ジャニーズ系はアメリカに行ってもアジア圏の女性には人気ですが、基本的に白人、黒人、ラテン系の女性には『子供のように見えモテない』ですね。
これは、そのアメリカ人先生にも確認したら『そうだね』ということを言ってました。
もちろん、僕自身もアメリカに行くまでは知らなかったことなんですけどね。
では、どうして日本人男性がどんどん女性化しているのかというと、その理由の1つに『平和だから』というのがあると僕は考えています。
『安全で快適な国』なのは素晴らしいことです。
本当に世界に誇れる日本の部分だと僕も思っています。
つまり、平和すぎるので、世の中が男性に強さを求める必要がなくなっていったのかなと。
でも、アメリカでは基本的に口論からの喧嘩はよくありますし、ナイフも銃もあり危ないですよね。
僕の知り合いも2人アメリカで殺されました。
そういう危険な国だからこそ、女性を守るため、家族を守るためアメリカ人男性は身体を鍛えるといいます。
でも、『平和な国の日本』と『犯罪が多いアメリカ』では、当然僕は平和な日本がいいと考えています。
子育てする上で安心ですしね。
だから、日本人男性が女性化していくのは自然なことなのかなとも考えています。
こういう違いを知るというのも、海外の人と話すとわかるので楽しいですね。
日本人は全員と同じことに安心感を覚えるがアメリカ人は全員と同じだったら気持ち悪く感じる
日本人とアメリカ人の考え方の違いの1つに、『他と同じか否か』というのがあります。
例えば、日本人の場合、30人のクラスで意見を求めたとき、その意見の多い方に属そうとすると思います。
何かの多数決をとって29:1になったら、不要な議論をさけ1の人はその29に合流しようとする人が多いでしょう。
でも、アメリカでは違います。
例え、29:1になったとしても議論するとそのアメリカ人先生は言っていました。
もちろん、人の性格による部分もあると思いますが。
それでも、『自分の考えを持ち主張することが素晴らしいと考える』アメリカ教育では、自分の意見を言うことが必要です。
逆に全員全く同じ意見になったとしても、その理由が例えば『A君が言ったから』とか『A君の考えに賛成だから』というのでは、落第点を与えるとそのアメリカ人先生は言っていました。
『どうしてそう考えたのか』とか『なぜその結論に至ったのか』という考え方の過程をしっかりエッセイ等に書かしてみるとのこと。
だから、多数決で同じほうに属するというのが正しいのではなく、自分の考えをしっかり持てているのかが評価の基準になるとのことでした。
この考え方も日本とアメリカでは全然違い興味深い内容でした。
最後に
このように書くと『アメリカ人が好きなの?』と思うかもしれませんが、人によります。
むしろ、アメリカ国内だけで生活しているアメリカ人は嫌いだったりします。
(旅行とかせず他の文化を知ろうとしないアメリカ人ということ)
なぜなら、僕にとっては自己主張が強くわがままに感じるからですね。
ほんとアメリカで生活するとわかりますがムカつきますよ。
でも、ゲストハウスに宿泊に来てくれるアメリカ人は、今のところ全員いい人ですね。
僕は日本人が好きなんですね。
だからこそ、『もっと考えようよ』という想いが強くなり今回のブログを書いてみました。
では、どうしてこうなってしまったのか、僕の考えを最後に書いてみたいと思います。
子供の頃は何でも自由で堂々と意見を主張しますよね。
創造性もあります。
でも、学校に入ったとたん子供たちはどんどんおとなしくなっていく。
創造性も失われていきます。
その原因の1つに画一的な教育が原因なのかなと考えています。
戦後はそれで良かったと思います。
なぜなら、社会がそういう人と求めていたからですね。
でも、これからの将来を考えると、言われたことをする人の仕事はAI等に奪われてしまいますよね。
だからこそ、考える力をつけ、自分なりの正解を見つけるという能力がこれからの時代はさらに求められるのかなと僕は考えています。
また、考えるということをすると、自分の意見というのも出てきます。
もちろん、それがあっている・あっていないといのは、議論したらいいと思います。
ですが、国際社会において自分の考えを持っていないというのは相手にされないんですね。
これは、僕の実体験から断言できます。
意見を持っていない人には発言の機会すら与えてくれなくなります。
もちろん、国際社会だけではなく、日本の社会においても主体的に考え行動できる人が以前よりも多く求められているように感じます。
日本人は優秀ですし、真面目で勤勉だと僕は考えています。
ですが、さらに先に進むには『自分の頭で考える力とそれを実行する行動力』がより必要になってくると僕は考えています。
アメリカ人との会話を色々思い出している中で強くそう感じました。
では、まずは自分の頭で考えるという意味で、親が何かの題を子供に与え、それについてエッセイ等で自分の意見をアウトプットするということから始めてみるのがいいのかなと思っています。
少しずつ訓練すれば、自分の考えを持つことが出来る1人の大人に成長すると思います。
日本の現状の教育はなかなか変わらないでしょう。
だから、日本の教育に家庭で+αをして補う。
これを繰り返すことで、日本人や日本がより良くなっていくのかなと考えています。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。