『日本人だったら知覧に行ってこい!』僕の人生を大きく変えた言葉です

『日本人だったら知覧に行ってこい!』僕の人生を大きく変えた言葉です

こんにちは。

木内(きのうち)です。

 

僕は21歳から4年半アメリカに留学していました。

理由は、プロドラマーになるために、です。

 

結果としては、プロドラマーになることはできず、失敗して日本に帰国しました。

 

このように書くと『挑戦したことを後悔している?』と質問してくる人がいるのですが、全くそんなことなく、むしろアメリカに21歳という年齢で留学したことは本当に良かったと考えています。

 

若すぎず、かといって年齢も高くなくちょうどいい年齢だったのかなと。

 

では、どうしてプロドラマーになれなかったのに、アメリカに行ったことを後悔していないかというと、様々な経験をしたからですね。

 

その1つが人との出会いです。

今回のブログは、様々な人と出会った中で印象に残っていることを書いてみようかなと思います。

 

では、今回紹介する内容とは『日本人だったら1度知覧に行ってこい』という言葉を言ってくれた車の貿易会社の社長さんと実際に行ってきた体験です。

 

僕は留学してから始めの2年間は一切日本に帰国しませんでした。

その間アメリカで何をしていたかというと、英語の勉強とバンド活動です。

 

また、お金もない墨はできるだけ節約しようとすごく安宿に泊まっていました。

 

その安宿では僕にあるのはベッド1台ちょっとの広さの個室のみ。

トイレとお風呂は共同という場所ですね。

ある意味、今振り返るとゲストハウスっぽい雰囲気だったように思います。

 

では、どうして安いのか。

もちろん、設備や建物が古い。

汚いというのはあるのですが、それ以上に立地ですね。

 

犯罪都市ロサンゼルスの中でも危険地域と言われるスキッドロウと呼ばれる地域にある宿泊施設だったからですね。

 

そこにはどんな人が住んでいたかというと、僕のような長期滞在の人も住んでいれば、日本からの旅人も来られていました。

でも、ほぼ長期滞在の人だったと思います。

 

男女比は、僕が知っている限り99%男性。

日本人とそれ以外の国の人達でいうと、白人が1名〜2名程度いてそれ以外は日本人だったように思います。

 

またその宿泊施設には談話室のような部屋があり、長期滞在者はあまり利用しませんが、日本から来た旅行者の人は各自で交流していました。

 

で、本題に戻ります。

車の貿易の商売をしていた社長さんと知り合ったのは、おそらくその談話室だったと思います。

おそらく僕の年齢が21歳か22歳のときですね。

 

ここまで読んだら『どうして社長さんなのにそんな安宿に泊まっているの?』と思うかもしれません。

 

その人が言うには、ロサンゼルス滞在中の半分〜2/3は良いホテルに、そして残りは僕のような長期滞在者や日本人の旅行者と交流したいとの理由で泊まっていると教えてくれました。

 

その人はすごいパワーを持っていていつも圧倒されていました。

色んな話をお酒を飲みながら語ってくれるのですが、今の僕でもびっくりするぐらいのエピソードを持っています。

 

もちろん、日本に帰国した今でも東京に行くときは連絡をして、商売の相談や人生の相談に乗っていただいていたりします。

だから、もう15年以上のお付き合いをさせていただいている人なんですね。

 

で、当時21歳か22歳の僕とその人がお酒を飲んで話をしていると、今日の記事タイトルの言葉を僕に伝えてくれたんですね。

『健介、日本人だったら帰国したら1度知覧に行ってこい』と。

どんな話の流れでその会話になったのか僕は覚えていませんが、その言葉だけは今でもしっかり覚えています。

 

ここで、知覧について知らない人のために書いてみますね。

知覧とは市町村の名前で南九州市の知覧町郡(ちらんちょうこおり)になります。

場所は鹿児島県。

 

では、その知覧に何があるかというと、神風特攻隊の出撃基地があった場所なんですね。

そして、そこに今は知覧特攻平和会館があります。

知覧特攻平和会館には、隊員達が寝泊まりした施設やゼロ戦実物、そして隊員達の遺書が飾られています。

当時は今ほどインターネットが発達していなかったこともあり、予備知識はあまりなく『なんとなく』わかったつもりになっていました。

 

それから月日は流れ、僕が一時帰国するとき。

初めての一時帰国はアメリカに行ってから約2年後なのでおそらく22歳か23歳の時だったと思います。

 

僕は鹿児島におじいちゃんがいたため『一緒に知覧に行こう!』と事前に連絡をしての帰国となりました。

徳島県に帰ったあと、数日して鹿児島へ移動。

おじいちゃんの家に到着し車で片道2時間を一緒にドライブして移動しました。

運転はもちろん僕。

おじいちゃんと色んな話をしながらの移動となりました。

 

当時はgoogleマップなど存在せず知覧まで行って知覧特攻平和会館の場所を現地の人に聞いたような気もしますが、どうやってたどり着いたかは覚えていないですね。

ただ、そこまで迷わず安全に到着したことだけは覚えています。

 

ちょっとここで本題と離れますが、『神風特攻隊』と聞くと『戦争を美化しすぎ』とか『戦争に賛同するのか』という声があがります。

 

もちろん、僕も戦争は反対だし絶対にするべきではないと考えています。

今でも絶対に戦争は反対です。

 

ただ、アメリカに留学してからは『自分達の生活が脅かす存在があれば立ち向かうべき』という考えもあわせて持っています。

 

つまり、戦争は絶対にするべきではないという考えと、脅してくる人に対しては立ち向かうべきという考えを持っているんですね。

特に、僕の家族や子供たちに危害を加える場合は強く抵抗するでしょう。

 

そして、この『子供たちを守る』という考えは、親になった人ならほとんどの人がわかる感覚だと思います。

 

だから、そういう危険な目にあわないためにも、事前にしっかり対策をしようと今は考えています。

特に、命に関わることなら。

 

では、本題に戻りますね。

 

知覧特攻平和会館に何時間滞在したのかは全く覚えていません。

おそらく到着してから結構長いこといたように思います。

 

色んな展示物がありましたが、やはり1番強く僕の記憶に残っているのは特攻隊員達の遺書です。

本当に涙なくして読むことはできないものばかりでした。

 

いくつかYouTubeに上がっているのがあるので、紹介したいと思います。

これは知覧平和会館の動画。

主にどんな施設なのか紹介しています。

 

こちらの動画は遺書をまとめたものです。

 

現地には遺書が展示されており、本当に皆さん達筆で書かれていました。

すごく字がキレイんです。

達筆なんです。

 

当時の僕は22歳か23歳。

でも、特攻隊員達は僕の年齢よりも若い人が多いんですね。

 

僕よりも若いのにこんなに字が達筆で難しい漢字も知っている。

僕は一体何を学んでいたのかとハッとしました。

 

遺書は本当に涙なくして読むことはできません。

動画で流れてくる遺書ではなく、実際に書いてある文章をぜひ読んで欲しい。

 

これから死に行く人達の言葉やその時代背景を考えると、本当に涙なくして読むことはできません。

あの紙に書かれている文字から伝わってくる言葉の重みや筆から発する何か。

 

本当にあの場所でしか体験できないものだと思います。

 

また、知覧平和会館には隊員達の顔写真が飾ってあります。

その顔写真を見ると、今の日本人と全然違う。

 

どちらが良いとの話ではなく、戦後の日本人の顔と戦前の日本人の顔はほんと全然違っているんですね。

かなり抽象的な表現になるのですが、もっと芯があるというか。

 

もちろん、生活スタイルや食べ物の影響もあると思います。

ですが、それだけではない何かがあるんですね。

 

そして、その顔を見たとき、友達のおじいさんの言葉を思い出しました。

それは、『わしらはこんな堕落した日本人のために戦争に行って戦ってきたのではない』という言葉です。

 

それまでは、感覚としてなんとなくわかっていましたが、彼ら特攻隊員達の写真を見たらその友達のおじいさんが言っている意味がわかったような気がしました。

 

かなりの時間を使って遺書を読んだり顔写真を見ていたような記憶があります。

そして、今これだけ平和な日本があるのは、戦争で戦ってくれた人がいたからだと強く思うことができました。

 

もちろん、知覧以外の人達もです。

戦争に行って戦う。

 

天皇陛下のためという遺書もあります。

本心だと思いますが、僕が遺書を読んで感じたことは、国のため=家族のために戦っていったのではないかということです。

 

日本という国のため、家族のために戦ってくれた人達がいるからこそ、僕たちは今でもこうやって平和で快適な生活ができている。

 

戦争の賛否は色んな意見があってもいいと思いますが、この国を守るために戦った人達に対しては、右とは左とか関係なく、敬意を払うべきだと僕は考えています。

 

先程、僕は戦争は絶対にするべきではないと書きました。

ただ、何らかの驚異が子供たちに向けられているとしたら、僕は全力で戦うでしょう。

 

戦争と考えると大きくなりがちですが、個人で考えても同じです。

例えば、子供がいじめられているとしたら。

子供の命を守るために引っ越す必要があるなら、僕はすぐにでも引っ越すでしょう。

 

ただ、その前に子供がいじめられないように、子供自身を強くする必要もあると思います。

これは、決して暴力的になれという意味ではなく、何かあったら自分で身を守ることはしろという意味ですね。

 

なぜなら、僕自身がいつ死ぬかわからないからです。

 

僕が生きているうちは守ることはできますが、死んでしまっては守ることはできない。

だからこそ、自分の身を守るようなにはなって欲しいと考えていたりします。

 

本当に知覧特攻平和会館に行ってそう思うことができたし、僕自身の人生の考え方を大きく変えるきっかけとなった経験でした。

 

ちなみに、知覧からの帰りは何十年ぶりの大雪に見舞われて、吹雪の中おじいちゃんの家に帰った記憶があります。

初めての道を吹雪の中帰る。

これも知覧に行ったことを印象づけている内容だったりします。

 

もうすでに大正生まれのおじいちゃんは亡くなってしまったのですが、知覧に行った話や吹雪の中帰ってきた話を生前よくしていたと聞きました。

 

孫と一緒に知覧に行く。

こんな思い出をおじいちゃんが持つことができたのも、車の貿易会社の社長さんの言葉がなければ実現しなかった話。

または、そもそも知覧自体を僕は知らないままだったかもしれません。

 

もし、仮に知ったとしても『行こう!』という気になってないかもしれません。

その社長さんが教えてくれたから行動したのであって、知ったとしてもただの知識として終わっているかもしれません。

 

色んな意味で『日本人だったら1度知覧に行ってこい』という言葉は、僕の人生を大きく変えた言葉となりました。

本当に当時の僕に行ってくれて感謝しています。

 

今日のブログは、思い出しながら書いていたり文章の構成がめちゃくちゃになっていますが、それでも先に書ききって公開したいという考えで書いてみました。

 

そのうち、きれいに修正したいと思います。

 

最後に知覧特攻平和会館の公式ホームページを掲載しておきます。

知覧特攻平和会館公式ホームページ

 

ぜひ、時間をつくって行って欲しいと思います。

 

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 
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