僕がやりたいことをやるようになったのは人の死を間近に感じたから

ゲストハウスをやっているとご宿泊いただく多くの人から、

  • 楽しそうな仕事で羨ましい
  • 憧れます
  • いい人生ですね

と言われることが多くあるんですよね。

 

確かにこの仕事は楽しいですし、毎日世界中から人が来てくれるのでいつも楽しく情報交換しています。

様々な情報が集まりますし、ビジネスとしても順調に利益が伸びている。

 

本日もオーストラリアからのゲストさんがお越しで、いっぱい話をしました。

一緒に鳴門市のスーパーに行ったりもしましたね。

 

そして、そのとき心底思うのが『英語が話せるようになってよかった』ということですね。

さらに言うと、『プロドラマーになるためにアメリカに行って失敗したが、全く後悔はしていない』ということも常々思ったりしています。

 

確かに『プロドラマーになる』という夢だけを見ると、全く通用しなかったですが、それ以上に大きな経験を積むことができ、人間的に大きく成長することができたからですね。

英語はその数ある成長することができたものの1つ。

 

アメリカは簡単に言うと、精神と時の部屋に行っていた状態でした。

4年半という期間でしたが、21歳の感性豊かなときに行けたのは本当にベストなタイミングだと思います。

 

どのブログに書いたか忘れましたが、昔からの僕を知っている人は、アメリカに行く前の僕と行った後の僕は本当に別人だと感じることもあるでしょう。

 

それぐらい考え方が変わりました。

 

では、どうして『プロドラマーになるという無謀とも思える挑戦をしたのか』というと、これは人の死が僕の価値観を変化させたからですね。

 

正確に言うと、父親の死です。

僕が16歳の誕生日を迎えた直後、父親は死んでしまったんですね。

 

原因はがん。

死んだのは12月の末なのですが、11月の末に『身体が痛い』と行って病院に行ったんですよね。

すると、お医者さんから『手遅れで余命1ヶ月』と母親は宣告されたと僕に伝えました。

 

今思うと、『父親に告知するべきだったのでは?』と悩みますが、母親とおばあちゃん(父親のお母さん)の判断で、余命の告知はしないということに。

でも、父親以外の家族は知っているという状態でした。

 

だから、僕も学校が終わると毎日のようにできるだけ父親の病院に行っていました。(片道1時間ぐらいかかってました)

始めは会話ができていたんですけどね、途中から会話の量が減っていきました。

そして、どんどん身体がむくんで吐くようになっていきました。

 

その色とニオイがなんともいえず、『これがガンの人の身体なのか』と何回も思いました。

 

その後、父親は立つこともできなくなり、会話もほとんどできない状態に。

病院に行っても寝ているかあまりの痛さのためにモルヒネを打ってもらっている状態とか。

 

その頃から昔のように普通の会話はなくなりました。

うなずくかとかだけですね。

あとは、精一杯声を振り絞って一言二言話すぐらいとか。

 

学校が冬休みになってからは、もう毎日病院に通っていましたね。

 

その時点であと1週間ぐらいの命。

ただ、毎日だんだん弱っていく父親を見に病院に行っていました。

 

どんな会話をしたんだろうか。

もう覚えてもいませんが、よく身体をマッサージしていたかな。

 

あとは、みんなが食事に行っても1人だけ病室にいたり。

それまで、身近な人が死ぬという経験をしたことがなかったので、どんどん弱っていく父親を見ても現実的に『人が死ぬ』ということを意識できない自分がいました。

 

そして、最後の会話。

死ぬ当日のこと。

 

もう呼吸もできなくなって『本日が山です』と言われている状態でした。

また明日くるけんな』と父親に話かけると、ぜーぜー息をしながら眉間にシワを寄せて頷く父親がいました。

 

これが会話なのかと言うと会話ではないのかもしれません。

ですが、それが父親と子供である僕がした最後の会話となりました。

 

その、5時間後ぐらいかな。

電話があり急いで病院に駆けつけましたが、僕が到着する5分前に死んでしまっていたんですね。

死に目には会えませんでした。

 

夕方までは多くの機械が病室にあり音が鳴っていましたが、僕が到着すると機械音はなし。

その機械音の代わりに家族親戚の泣いている声が。

 

父親の口にも酸素マスクはなし。

あの苦しそうな顔ではなく、本当に眠っている穏やかな顔をしていました。

 

これが僕が身近な人が死ぬという体験でした。

先程も書きましたが僕が16歳になった直後。

 

病室では淡々と看護師さんが手続きをすすめていきました。

約1ヶ月ぶりの父親の帰宅は、生きて戻ってくることはできず、死んでの帰宅となりました。

 

だから、父親の書斎はそのまま。

実家に戻ると、父親が使っていた机等は位置こそ変えましたが、その書類や仕事道具の一部は当時のままで残っています。

 

本人も40代半ばでやりたいことがいっぱいあったでしょう。

やりかけの仕事もあるし、子どもたちの成長を見たかっただろうに。

 

僕も現在子供を持つ父親ですが、すごく子供の成長を見続けたいと思うんですよね。

でも、その夢が叶わなかった。

その無念さはすごく感じます。

 

また、病院の先生から『父親があと1ヶ月の余命』と宣告されたとき、おばあちゃんはひどく取り乱したとか。

当時16歳の僕には『息子が親より先に死ぬ』ということの意味はわかっていました。

 

ですが、今親となってみて『自分の子供が僕より先に死ぬなんて考えたくもない』し『代われるんだったら代わりに死にたい』と思っています。

 

それぐらい大切な存在である子どもが、親である自分より先に死ぬということは、おばあちゃんにとっては言葉では言い表せないぐらいの感情が動いたと思います。

 

父親が亡くなってからか亡くなる前か忘れましたが、母親が僕に病室で父親が僕の将来について話をしたことを教えてくれました。

それは、『ケンは好きなことをやったらいい』と言っていたとのこと。

 

だから、

  • 人間はいつか死ぬということを間近で体験したこと
  • 人間がどんどん弱っていく姿を間近で体験したこと
  • 父親の『好きなことをしたらいい』との言葉

から、『人間いつか死ぬからやりたいことはどんどんやっていこう』と考え方が変わったんですね。

 

だから、プロドラマーにも挑戦しましたし、独立・起業もしました。

放浪の旅もしましたし、興味があることはどんどん挑戦するようになったんですね。

 

もちろん、すべてが上手くいくわけではありません。

プロドラマーになれなかったように、独立・起業して稼げなく始めの2年間は悔しい思いをしたように様々な失敗をしてきました。

 

でも、『やりたいことをやっている』からこそ、人生に充実を感じることも多くあります。

もちろん、僕はもっと先に進みたいですし、こんなところで立ち止まりたくない。

 

自分がやりたいことをどんどんやっていけるように、今後も様々な挑戦を続けたいと考えています。

 

なぜこんなブログを書こうと思ったのかというと、父親の23回忌が今日あったので、昔のことを思い出したからですね。

父親からすると孫が全員法事に参加している。

どんな気持ちなのだろうかなと思いながら般若心経を唱えていました。

 

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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