広島の呉市からお越しの方に戦艦大和のお話を聞かせていただきました!

広島の呉市からお越しの方に戦艦大和のお話を聞かせていただきました!

本日のゲストさんは広島県の呉市(くれし)からお越しのゲストさんがいらっしゃいました。

呉といえば・・・そうですね、戦艦大和ですよね。

 

僕も今年の4月に呉市に行き大和ミュージアムに行ってきました。

アメリカに住んでいた時に日本の歴史を勉強して、絶対に行ってみたいと思っていた場所の1つでした。

 

ちなみに、23歳のときにアメリカで知り合った某車屋さんの社長さんから『健介、日本人だったら知覧を見てこい』と教えていただき、実際に見に行ってきました。

 

この場所は、日本人だったらぜひ1度見にいって欲しいと思います。

本当に遺書とか見たら涙が出てきます。

 

では、話を呉市のことに戻しますね。

 

今回お話を伺ったのは、2人組男性ゲストさん。

1人は戦争を実際に体験された人。

もう1人は戦争を体験されていませんが、呉市の歴史をセミナー等に出席して何回も勉強した人。

 

では、教えていただいた内容書いてみたいと思います。

 

戦艦大和の製造中を住民は見てはいけなかった

今回お話を伺ったゲストさんの家からは戦艦大和の製造現場が見えたとのこと。

でも、ご両親から『絶対に見てはいけない』と言われていたらしいです。

 

そして、家には黒いカーテンをしたり、真夏でも雨戸を閉めなければいけなったみたいです。

では、実際に戦艦大和の製造を覗いてしまうとどうなるかというと『逮捕される』とのこと。

 

大人だったら連行されてどうなるかわかりませんとのことでした。

情報の漏洩に注意を払っているというのがよくわかりますね。

 

ただ、段々畑?からは普通に見えていたようですが。

 

B29からの爆撃の話


戦争当時、幼稚園ぐらいのご年齢で体験されたとのこと。

B29に銃撃され2階の屋根を突き破ってお仏壇の角に弾があたって、一部壊れてしまったというお話を聞かせていただきました。

 

他の近隣の方は被害がなかったけど、うちは被害にあったとのことでした。

 

そこで、『B29の銃はどういう音がしていたんですか』と僕が質問したら、『敵機を直接見たことがない』とのこと。

なぜなら、『敵機が来たらすぐに防空壕にすぐに入っていた。見つかったら殺されるから』とのことでした。

 

その具体的な行動としては、

  • 『ウァーンウァーン』という敵機が来たと知らせる音が街全体に聞こえる
  • 親と一緒に防空壕に入る
  • 敵機が去るのを待つ
  • 飛行機の音が消えたら敵機が去った証拠
  • 誰かが防空壕から出てそれを見た他の防空壕の人も出る

という行動をしていたそうです。

 

当時小さかったがその時の記憶は鮮明に覚えているとのことでした。

 

潜水艦の話

呉市には潜水艦の基地があり、当時そこに4〜5隻は潜水艦が停泊していたそうです。

そして、呉市に停泊している潜水艦の写真だけは撮影していいとのこと。

 

他の場所、例えば舞鶴とかでは撮影してはダメだったそうです。

 

また、潜水艦が出港すると、海面に泡が出るみたいなんですね。

その泡に向かって飛び込んで遊んでいたそうです。

 

すると、その泡が体についてそれがめちゃくちゃ楽しかったそうです。

だから、出港するたびに海に飛び込んで遊んでいたとのこと。

 

でも、潜水艦が出港した海には、排出されたコールタールが体中について親に怒られたそうです。

※コールタールとは、『石炭を乾留してガス・コークスをつくるときに得られる、黒いどろどろした油状の物質』です。

 

呉市が脚光を初めて浴びたのは日清戦争のとき


呉市が脚光を浴びたのは日清戦争が初めてとのことでした。

なぜなら、物資を送らないといけないために、船を作らなければいけなかった。

しかも、鉄甲船を作らなければいけない。

 

でも、当時の日本の技術では鉄甲船を作ることができなかったみたいなんですね。

だから、当時の日本はイギリスから輸入した船を全部バラして作り変えたみたいです。

 

どうして呉市は造船所として有名になったのか

いくつか理由を教えていただいたので、箇条書きを書いていきます。

  • 北に735m級の山があり北風が吹かない
  • 風がないと船が回ることがない
  • いかりをおろしていても船は回る
  • 南に向かって海が広がっている
  • 波が少ない
  • 三方が山に囲まれているので
  • 湾が遠浅ではなく深いので造船に適している
  • 大きな船が入りにくくスピードが遅くなるので、いざとなったら攻撃できる

 

このような理由から呉市は造船所として有名になっていったとのことでした。

 

呉市が最も活躍したのは日露戦争の軍艦造り

日清戦争のときは、鋼鉄船を造ることができなかった日本人ですが、日露戦争のときには鋼鉄船を造る技術を持っていたとのことでした。

 

ちなみに、日清戦争は1894年7月25日から1895年4月17日まで。

日露戦争は1904年2月8日から1905年9月5日まで。

 

つまり、約10年で早いスピードで技術力が向上したということを意味していますよね。

そして、そこで日露戦争で活躍した戦艦を数々作ったのは呉市だったそうです。

 

すごくロマンを感じますね。

 

戦艦大和の裏の真実


最後に戦艦大和の裏の真実を教えていただきました。

僕たちは沖縄に特攻で向かい沖縄沖で戦艦大和は沈没したと習ったと思います。

 

そして、それは特攻のため『死ににいく』ということが決まっていた出港でした。

でも、その本心は『戦艦大和をアメリカ軍に渡したくなかった』とのこと。

 

当時の日本の海軍の技術は世界一。

だから、アメリカ軍は戦艦大和を手に入れ、それを解体して日本の技術を手に入れたかったみたいなんですね。

より強い海軍を作るために。

 

でも、先程も書きましたが『大日本帝国海軍はアメリカに戦艦大和を渡したくなかった』。

そのためには、特攻として戦艦大和を沈没させるしかなかったようです。

 

だから、『死ぬとわかっている特攻』をしたそうなんですね。

こういう事実を僕は初めて知りました。

 

もちろん、この内容が本当かどうかは僕も調べていないのでわかりません。

 

ですが、歴史に『タラレバ』はありませんが、これからは『航空機の時代だ』と大日本帝国海軍の偉い人達が認めていたら、もっと違った歴史になっていたかもしれませんね。

 

広島県のおすすめの観光スポット

今回は広島県のゲストさんにお話をお伺いしたので、一緒に広島県のおすすめの観光スポットも教えていただきました。

 

広島の三景園

こちらが公式ホームページです。

http://www.chuo-shinrin-koen.or.jp/sankei/sankei.html

 

蜜屋の蜜饅頭

こちらが公式ホームページです。

http://mitsuya-honpo.jp/

 

天明堂 鳳梨饅頭(おんらいまんとう)

こちらが公式ホームページです。

https://www.hiroshima-kankou.com/spot/18304

 

最後に

11月16日に坂本英三さんと一緒にライブをします。

僕がドラムで坂本英三さんがボーカル。

かなり楽しみにしています。

 

そして、僕が演奏する曲はアニメタルなんですね。

何曲か演奏するのですが、その曲の1つに『宇宙戦艦ヤマト』という曲があります。

この曲ですね。

このタイミングで戦艦大和の話を聞かせていただいたのも、何かの縁なのかなと感じてしまいました。

広島県の2人のお話を思い出し、当時の人たちの生活や歴史を考え『宇宙戦艦ヤマト』を演奏したいと思います。

 

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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